2017年6月17日土曜日

連載:とおくとちかいをかんがえる。①

今回は稽古日誌も特に付けてない。稽古場で共有するのは別に詳細のがあるけど。でも何か書こうと思い勝手に連載をはじめます。隔日更新的なイメージで。

あ。演出の中村です。これは演出ノートの長いやつみたいな、思考過程だだもれ的な読み物です。

まず、この作品「とおくはちかい」は「ある大きな出来事に対する、当事者と傍観者の記憶と忘却の速度の違い」をテーマに据えています。この作品をやるにあたって、きっかけとなった出来事について、話してみたいと思います。(見る人が見たら、なんのことか特定できるとおもいますが、名前とかは伏せます。)


去年仙台で、ある写真家の展覧会のギャラリートークがあって、東京在住の詩人の方とのトークセッションがありました。僕はそれを聞いていました。

写真家の方は東日本大震災によって、津波被害を受けた土地の出身で、被害を受けた自分の町を3.11以前も以後も取り続けていて、その展覧会にはその町の写真も展示されていました。展示はとても印象深く、素晴らしいものでした。

そのトークはもちろんその展示に関することで、東日本大震災に関する言及も少なからずありました。例えばそれは「〇〇さんの写真は震災以降大きく変わった」「そして、ある地点からは、その“混乱”を踏まえ、以前の作風に戻ってきている」というような言葉だったと記憶しています。この言葉を受けて写真家は「うーん、自分はそうは思いませんが……」と反応していました。(すみません、全然違うかもしれません)

ぼく自身はその詩人の方の物言いに、強い違和感を感じます。そのうち、彼の物言いが、写真家に、またこのトークをしている空間全体とは相容れないものとして浮いているような、そんな感覚になりました。終いには、彼自身が、この空間に対する違和感として存在しているような、そんな気さえしてきたのです。途中でそのトークは集中できなくなって離席して、あらためてその展覧会をみることにしたのでした。

このとき、ぼくは別の話を思い出します。たまさか、その写真家が、東京でトークイベントをしたときのこと。ぼくの友人がそれを聞きにいったとき、この正反対の状況になっていた、そうです。震災に関する、その写真家の物言いが、東京のその会場では浮いていたように私には思えた、と友人は言いました。聞いた話なので、そのイベントが実際どういったものだったのかはわからないのですが、そんな空気になることが自分には想像できませんでした。

このことが、しばらくぼくの頭のなかにひっかかっていました。もちろん、地域でそういった線引きをすることはナンセンスだな、とも思います。ある出来事に対してコミットする人としない人がいるというのは、単純に地域だけの問題ではありません。

ただ、その場で感じた空気と違和感について、それからその友人の話について考えてみたい、というのがこの作品に取り掛かる一番はじめのきっかけだったように思います。
だから、今回は仙台ではない地域でも上演したいと思ったのでした。2人の会話劇で、ある地域の観客と、仙台の観客はそれぞれ反対の立場の人物に寄り添って劇を見る…というような反応に差異が出るのではないかなどと安直に思いながら。

そして、舞台上の出演者にも、東日本大震災当時に東京にいた人と、仙台にいた人を実際にあげることで、「大きな出来事に対する人々の距離感の違い」をダイレクトに表すことができるのではないか、そういった狙いがありました。
ました、ということは、このあと当然のように、紆余曲折があります。続きはまた明日にでも。

(つづく)