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三階が建ちました。

 5/7に執り行われた検証企画「三階は本当に建ったのか?」の結果、「結論は劇団内で話し合って決める」という、外部の人を招き入れて検証することによる云々みたいなことの度外視、内輪で回ってるのもなんだかとっても日本的、な感じだった検証企画ですが、劇団内での綿密な議論と大検討(ええ、「大」検討です。)の結果、三階は建つことになりました。おめでとう。ありがとうございます。 検証企画を経て僕たちは何を話してきたのか。 3階の作品から確実にメンバーはいろんな課題をもらいました。 3階までは、多かれ少なかれ、屋根裏ハイツの課題=中村大地の課題、みたいなところがあったので、メンバーが課題をもらっている。と言う状況はとっても大きいことだなと思います。またそれは、個人が課題を見つけて解決していくというような種類のそれではありません。団体として、作品をどう作るか、ということです。考える頭が広がったような感じ。  過度な期待を込めた憶測を持って言葉を選べば、たとえば検証企画のような、振り返る場を作るというような僕たちのとってきた態度が、巡り巡って自分たちにこういうマインドをもたらし始めたのかな、と勝手に思っています。殊更、3階の制作は客演も含めて、とにかく話しあいをして、練習を重ねてきた。あほみたいにコミュニケーションをとってきた。創作はとにかく時間がかかるということを、恥ずかしながらようやく肌身で感じることができました。というよりはむしろ、肌身で感じていたことにようやく言葉が追いつき、実感をもってそう思えているのかもしれません。 一方で個人の興味というのはあります。僕は作家で演出でしかも主宰なので、このカンパニーの作る作品は、つまるところ僕の興味の方向に委ねられてしまいがちだし、そのことは別に問題ではありません。(当たり前ですかね。) 話し合いの場は、僕の興味をたとえば加速させたり、とどまらせたり、展開させたりします。たとえば稽古がはじまったらスタッフとのやりとりを通じて演出の頭を具体化していくための話し合いが行われます。それもその一つでしょう。一方で団体の話し合いの場では、そのもっと前の段階で、抽象的な部分を話し合えればいいのだなと思います。そういうやりとりができるためには、ある程度長いつきあいをしていかないと行けないでしょう。 なんかきっと、当たり前のことなんだと